営業所紹介 Sales Offices
採用情報 Recruitment

入社後、10年・20年・30年
安心して働き続けることができる
職場を目指しています!
「物流」と聞いて、重労働や男性の仕事というイメージを持つ方も多いかもしれません。でも宮城運輸は違います。私たちは“食の物流”を通じて人々の暮らしを支えている会社です。年齢・性別・経験に関係なく、誰もが力を発揮できる環境を整えてきました。結婚や出産、介護といった生活の変化にも柔軟に対応できる働き方が可能です。あなたらしいキャリアを、宮城運輸で一緒に築いていきましょう。
仕事を知る ABOUT WORK
宮城運輸では、トラックドライバー、フォークリフト作業員、倉庫内作業員など、それぞれの役割が連携し、毎日の物流を支えています。
運転や荷扱いが未経験の方でも、丁寧な研修とサポート体制があるため安心してスタート可能です。
食の流通を担う仕事だからこそ、誇りを持って働ける!そんな職場の魅力を、各職種ごとにご紹介します。

トラックドライバー

フォークリフト

倉庫作業スタッフ
働き方を知る ABOUT STYLE
宮城運輸では、一人ひとりのライフステージに寄り添った働き方を大切にしています。
未経験からの挑戦を支える体制はもちろん、結婚・出産・介護といった将来の変化にも対応できる環境を整備。
「将来の不安ゼロ」プロジェクトを通じて、入社後も10年、20年、30年と安心して働き続けられる会社を目指しています。
ABOUT STYLE
未経験者の方へ
「物流の仕事は初めて…」そんな方もご安心ください。宮城運輸では、未経験からスタートした社員が多数活躍中です。丁寧な研修や先輩のサポート体制に加え、トラックやフォークリフトの免許取得を支援する制度も整えています。一歩ずつ成長できる環境で、新しい一歩を踏み出してみませんか?
「将来の不安ゼロ」
プロジェクト
「この先、ずっと働けるのかな…」そんな将来への不安を感じている方へ。宮城運輸では、年齢や家庭の事情、ライフスタイルに合わせて、自分に合った働き方や仕事を選べます。結婚・出産・介護など、人生の節目も安心して迎えられるよう、あなたに寄り添ったサポート体制を整えています。
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未経験スタート! -
ガッツリ稼ぎたい。 -
家族との時間を両立 -
子供のイベント100%参加 -
親の介護も全力サポート -
定年後もゆったり働く
働く環境を知る ENVIRONMENT
宮城運輸では、社員一人ひとりが安心して働き続けられるよう、職場環境の整備に力を入れています。
充実した福利厚生、快適な設備、安全性の高い車両など、長く働ける環境を整えています。
新着ブログ
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15年前の話をしよう。 ④三銃士、四銃士
続きです。少し時間を戻します。震災当日、会社の様子を見に来た運転手さんたちがいました。「大丈夫ですか?」と。そんな中、荷主様からこんな依頼を受けました。固定電話(アナログ回線)、携帯電話はつながっていましたので。「当日、営業している店舗(関東地方)へ配送をお願いしたい。」確かこんな感じだったかと思います。3,4人のドライバーさんが「自分がやりますよ」と名乗り出ました。社長(=前代表)はそのドライバーさんたちを「三銃士」や「四銃士」と呼びました。ドライバーさんにはこういう非常時に一段とやる気を出してくれる人がいるんですね(今はどうなのかわかりませんが)。この後もこのドライバーさんたちの活躍が続くことになります。 続きます。

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15年前の話をしよう。 ③津波・・・・?
続きです。当時の記憶でこのブログを書いていますが、記憶がおぼろげなところもありますので、もし違う箇所がありましたらご容赦ください。 前代表の指示で冷たい風が吹き小雪の舞う外に出た我々。ちょうど何台か配送を終えて帰ってきた車がありました。「大丈夫だったー?(前代表)」「大丈夫ですー。(運転手)」中には、「何かあったんですかー?」と言ってくる大型の運転手さんもいたりしました。当然のように停電しています。テレビは見れません。携帯はつながる状態でしたので、ワンセグでテレビを見ます。「宮城県北部震度7」とか「名取市震度6強」とか聞いたことのない震度が出てきます。そうしているうち、大津波警報という聞いたことのない警報が出てきました。最初は確か5-6m、のちに10mの津波の警報だったと思います。停電が長引くことが予想されたので、いつまでもワンセグを見ているわけでもなく、「そんな大きな津波来るわけないよなー」と内心思いながら、ワンセグの画面を消すのでした。こんな感じでしたので、今もYouTubeで見れる「津波が押し寄せてくるニュース映像」を見ていないんですね。ワンセグをみるのをやめ、会社にあったラジオで情報を聞きます。「仙台新港に津波が押し寄せてきた」「仙台空港の滑走路が浸水した」そんなニュースが聞こえてきますが、大津波がきてたくさんの方が亡くなった、とは当日思いもよらないのでした。そんな中、海岸沿いにあった岩沼倉庫が津波の被害にあった、という連絡が携帯にありました。当日、たまたま作業が早く終わり、責任者以外の従業員は全員帰宅、責任者だけが倉庫に残っていた状態。責任者は倉庫の2階に避難し無事、しかし津波を被ってしまい出られない、という話でした。「大丈夫ですかー?」「大丈夫ですー。でもいつ出られるかわかりません(責任者)。」「今日はもう帰りましょう、明日会社に来れる人は会社に来て。」社長(=前代表)の言葉で解散することになりました。 真っ暗な道に車を走らせ、周りの様子を見てみます。陥没した道。曲がったように見える線路。踏切の遮断機は折れています。帰宅途中、ハタと思い立って消防署に電話をしてみました。何回か電話してやっと繋がりました。「倉庫の2階で取り残されている人がいるんです、助けてください。」「電話が多すぎてもう対応しきれないんです(消防署の方)。」次の日の新聞を見て大津波で大きな被害が出たと知ることになるのでした。 続きます。

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15年前の話をしよう。 ②今まで経験したことのない揺れ
2011年3月11日午後2時46分。地震は起きました。前回も書きました通り、宮城県民は地震はある程度慣れています(そのはず)。3月11日の前にも大きめの地震があり(前震というらしいです)ました。調べてみると2011年3月9日、最大震度5弱。名取市近辺は震度4だったらしいです。確か、津波注意報も出ていましたが、津波の大きさは最大0.6mだったようです。 3月11日は最初は下から突き上げるような揺れ。正直、最初は「また地震か」という印象だったはずです。その後、激しい横揺れ。その横揺れがいつまでたっても終わらない。一回収まったかと思えばまた強い揺れが続く。「いつまで続くんだこの揺れ、いい加減に止まってくれないかな」3分くらいこの横揺れは続いたようですが、こんな長時間の揺れは経験したことはありません。地震の揺れがやっと収まりました。当然のように停電しています。「みんな建物の外に出て!」社長(=前代表)の一声で皆建物の冷たい風が吹き小雪の舞う会社社屋の外に出るのでした。 続きます。





















