住所の表し方について語ってみる ②市町村合併の歴史-1
さて、続きです。住所の表し方と密接に絡んでくるのは、市町村合併の歴史です。市町村合併は、大きなものとして・明治の大合併(=市制・町村制) 1888-1889年・昭和の大合併 1953-1961年・平成の大合併 1999-2010年があります。そもそも村落(「ムラ」といういい方をします)は、農民が生活していくうえでの地域共同体的な役割を持っていました。田んぼ仕事なんかでも1人ではできないですからね。その自然発生的なムラに幕府や藩が農民を支配するために設定した行政単位の村を藩政村といいます。明治時代に入り、中央集権体制を確立するため、従来の藩政村をまとめたかたちで人為的な村を作りました。これが明治の大合併です。そのとき、従来の藩政村は明治行政村の大字となりました。本社の場合、3か村が合併して高舘村という村になっています。(吉田村・川上村・熊野堂村=高舘村)。以前紹介した志和営業所の場合、4か村が合併して志和村となっています(=八戸藩の飛び地)。(稲藤村・片寄村・土舘村・上平沢村=志和村)小山営業所の住所の場合、8か村が合併して絹村となっています。(福良村・高椅村・簗村・中河原村・中島村・延島村・延島新田・田川村 =絹村)臨空センターの住所の場合、4か村が合併して玉浦村となっています。(押分村・下野郷村・寺島村・早股村=玉浦村)本社所在地の「熊野堂」、志和営業所住所「稲藤」、小山営業所の「延島」、臨空センターの「下野郷」いずれも昔の藩政村で、現在の住所で大字となっています。この明治行政村の地名の由来を調べてみると面白いものがあるので調べてみるとよいかもしれません。例)絹村:古くから養蚕と真綿から作る「手つむぎ糸」による結城紬の生産が盛んな地域だったため。なお、隣の村は「桑村」。 昭和の大合併以降の話は次回で。続きます。