熊野堂と神社と宿坊と。
弊社の本社の所在地は「宮城県名取市高舘熊野堂」です。「熊野堂」の地名の由来は、クマが出るから・・・ではなく(今年は山のほうに実際クマは出てはいるのですが)、平安時代末期に紀伊(現・和歌山県)の熊野三社を勧請(神社の祭神などを別の場所に迎えて祀ること)した名取熊野三社が由来です。名取熊野三社は、熊野神社(熊野新宮社)・熊野本宮社・熊野那智神社の総称であり、全国に「熊野神社」は数多くありますが、他の熊野神社は、本家の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)をまとめて1つの神社として勧請しているのに対し、名取の熊野三社は本宮・新宮・那智の三社がそれぞれ別に勧請されています。また、3つの神社の位置も本家(紀伊国)と同じであり、これは全国でも珍しいとされています。 弊社は名取熊野三社のうち、熊野神社の近くにあります。熊野神社は、もともと熊野新宮社といい、名取熊野三社のなかでも中心的な神社でした。奥州藤原氏の庇護を受け、軍事的にも一大勢力となっていたようです。奥州藤原氏の滅亡後も信仰を受け、18の宿坊(氏子や参拝者のための宿泊施設)を設け、江戸時代になっても伊達家の崇敬を受けていたようです。↓熊野神社 さて、この宿坊ですが、先週まで紹介していたインタンクや洗車機がある場所(弊社の西側、大きな道路の向こう側)も 範囲として入っていたようなんです。 名取市が発行してる熊野三社関連のパンフレットなどを見ても「新宮宿坊跡」として範囲に含まれているのです。 宿坊がどのくらいの期間存続していたのか調べても出てこないのでよくわかりませんが、神域の一部だったことを考えると、 妄想がはかどりますね。 ロマンがありますね。 ↓弊社から宿坊跡だった弊社車庫を臨む