-

住所の表し方について語ってみる ⑤住居表示と地番整理
今回は、住所の表し方で「×丁目〇-△」の表し方についてみていきたいと思います。以前羅列した例ですと、・神奈川県厚木市中町3丁目17番17号 (厚木市役所)・茨城県土浦市板谷7丁目627番地の17(茨城営業所)の違いです。 まず、厚木市役所の場合は、「住居表示に関する法律」(昭和37年施行)に基づく住所の表し方です。前回書きました通り、明治維新時の地租改正により、地番が決められ、それをもとに住所を表すようになりました。その土地売買したり、相続で分けたりすると別の番号が生まれます。これを分筆といいます。ちなみに、弊社本社は字岩口下46-1が住所ですが、46-1のほかに3つ分筆された土地があります。そのなかの代表として46-1を住所にしています。分筆は、分筆を行った順に番号を割り振り、一度使った数字は再利用しません。そうなると、隣の土地が連番でなくなる可能性があるんですね。例えば、番地が「1」しかない山を宅地造成するとします。何百軒の家が建ち、地番としては「1」から分筆をしていくので、その団地内で「1-××」という地番が大量発生します。その後、さらに分筆すると隣同士で地番の連続性が失われ、郵便配達や各種配達に支障が出ます。また、特に城下町だと町名が入り組んでいたり、飛び地ができたりします。その解消のために、新しい町名を付け(〇〇△丁目)、道路で区切られたブロック(=街区)ごとに番号をふり(〇番)、そのブロックの起点を決め、基本的に10mごとに(例外あり)その家に番号を充てる(〇号)という住所の表し方の決まり事を作りました。なお、町名は「丁目」を含みます。この住居表示の住所は地番とは別のもので、土地の登記の場合は地番が必要になります。住居表示は1件の家に、地番は土地に与えられます。当然、一軒の家に分筆された土地が4つある、ということも考えられるので、住居表示の住所=地番、にはならないんですね。この法律で、結構古くからの町名(特に城下町は)が失われているので「地名殺し」なんていわれています。 一方、町名地番が混乱している区域の町名及び地番を変更し、住所等をわかりやすくすることも行われます。主に大規模な宅地開発や土地区画整理の際に一緒に行われることも多いです。これを地番整理、もしくは町名地番整理といいます。この場合は、地番=住所となります。また、新町名を付けることもありますし、今までの大字、小字を生かして新たに地番をふりなおすこともあります。上記の茨城営業所の場合、土浦市のホームページによると、平成6年に地番整理が行われた模様です。住居表示の場合、「627」という街区番号はありえないので、板谷は地番整理地区だとわかります。 なお住居表示と地番整理、両方とも略した表記は例えば「1丁目1-1」のようにハイフンを入れるので、正しい表記が分からないときは、ハイフンを入れた書き方のほうが無難です。逆に、正しい住所の書き方をすると「分かっている」感を醸し出せます(なんだこの上から目線)。あと1回続きます。
-

住所の表し方について語ってみる ③市町村合併の歴史-2
続きです。 昭和の大合併は、地方自治体の財政強化を主目的として政府主導で進められました。 当時の(=明治行政村)の財政は赤字で、効率化・健全化が求められていたこともあります。 この昭和の大合併により、1961年には市町村の数が従来の約3分の1である3,472市町村 にまで統合が進みました。 本社所在地の例でいうと、 増田町+閖上町+下増田村+館腰村+愛島村+高舘村=名取町、のち名取市 名取町の由来は郡名(名取郡)から。 従来の明治行政村の大字はどうなったかというと、 ①そのまま大字として継続 (例:玉浦村下野郷→岩沼町下野郷、のち岩沼市) ②明治行政村の名称を何らかの形で残す(例:高舘村熊野堂→名取町高舘熊野堂、のち名取市) ③今までの大字を統合し、明治行政村の地名を大字にする ・・などがあります。 時を経て、 平成の大合併は、地方分権の推進を目的として、地方自治体の自主的な合併を促し、様々なインセンティブを つけ進められました。 これにより、市町村は全国で1718まで統合されています。 この時、合併後の新市町村名に従来の市町村名を用いない、という制約を課したものも多数見られ、 結果として広大な面積の自治体があったり、イメージ重視の地名を用いた市町村名もあったりします。 (広大な面積例:岐阜県高山市=東京都とほぼ同じ面積 人口は約8万人) (イメージ重視:群馬県みどり市、栃木県さくら市、北海道北斗市など) (広域地域地名:岩手県奥州市、茨城県常総市など) 余談ですが、山梨県には甲府市、山梨市、甲州市、甲斐市があります。 頭の中に地図が描きづらいです。 これにより、地名の整理が行われたり、従来の自治体を従来の大字の前につけるといったことが行われています。 例えば、鹿児島県の地名で 鹿児島県志布志市志布志町志布志というのがあります。 市役所が半分ネタにして看板を作っていたりもします。 これ、志布志市→平成の大合併、志布志町→昭和の大合併、志布志→藩政村(=大字)の地名 なんですね。 次は大字について深堀りします。 続きます(飽きてきているかもしれませんが)。
-

住所の表し方について語ってみる ②市町村合併の歴史-1
さて、続きです。住所の表し方と密接に絡んでくるのは、市町村合併の歴史です。市町村合併は、大きなものとして・明治の大合併(=市制・町村制) 1888-1889年・昭和の大合併 1953-1961年・平成の大合併 1999-2010年があります。そもそも村落(「ムラ」といういい方をします)は、農民が生活していくうえでの地域共同体的な役割を持っていました。田んぼ仕事なんかでも1人ではできないですからね。その自然発生的なムラに幕府や藩が農民を支配するために設定した行政単位の村を藩政村といいます。明治時代に入り、中央集権体制を確立するため、従来の藩政村をまとめたかたちで人為的な村を作りました。これが明治の大合併です。そのとき、従来の藩政村は明治行政村の大字となりました。本社の場合、3か村が合併して高舘村という村になっています。(吉田村・川上村・熊野堂村=高舘村)。以前紹介した志和営業所の場合、4か村が合併して志和村となっています(=八戸藩の飛び地)。(稲藤村・片寄村・土舘村・上平沢村=志和村)小山営業所の住所の場合、8か村が合併して絹村となっています。(福良村・高椅村・簗村・中河原村・中島村・延島村・延島新田・田川村 =絹村)臨空センターの住所の場合、4か村が合併して玉浦村となっています。(押分村・下野郷村・寺島村・早股村=玉浦村)本社所在地の「熊野堂」、志和営業所住所「稲藤」、小山営業所の「延島」、臨空センターの「下野郷」いずれも昔の藩政村で、現在の住所で大字となっています。この明治行政村の地名の由来を調べてみると面白いものがあるので調べてみるとよいかもしれません。例)絹村:古くから養蚕と真綿から作る「手つむぎ糸」による結城紬の生産が盛んな地域だったため。なお、隣の村は「桑村」。 昭和の大合併以降の話は次回で。続きます。
-

住所の表し方について語ってみる ①イントロダクション
突然ですが、弊社の本社・営業所・もしくは過去営業所のあった場所の市町村役場の住所をできるだけ正確な表記で下記に表してみたいと思います。 ・宮城県名取市高舘熊野堂字岩口下46番地の1・宮城県岩沼市下野郷字中野馬場4番地の8・岩手県紫波郡紫波町稲藤字升形44番地の5・栃木県小山市大字延島2705番地の1・茨城県土浦市板谷7丁目627番地の17・神奈川県厚木市中町3丁目17番17号 (厚木市役所)・岩手県紫波郡矢巾町大字南矢幅第13地割123番地(矢巾町役場) こうして眺めてみると、いろいろな住所の表記に気づくかと思います。「字」って何だ、とか、「地割」って何だ、とか。なんでここは「大字」がつくんだ、とか、同じ「丁目」がつくのに表し方が違うんだ、とか。結論から言うと、「各市町村がそのように決めているから」なのでありますが、さまざまな市町村合併の歴史や法律によって決まっていった部分もあります。 これをブログに書いてみよう、と思ったのは単純に年賀状を整理していて思い立ったからではあるのですが。今週より何回かに分けて書いていこうかと思います(盛大な前振りみたいになってしまった)。




