-

15年前の話をしよう。 ⑩姿を見せなかったあの人は
続きです。(このブログは現在、隔週更新を目安にしています。お知らせ等ありましたので震災話の更新が空きました)震災当日(3/11)、仕事が休み(シフト休み)の方がおりました。その方は、沿岸地域にお住いの方で、震災が起きて以降、連絡が取れなくなっていました。当然、社長(当時)は心配します。「大丈夫かしら」「もしかして津波の被害にあったのかもしれない」と。10日位たったでしょうか。連絡が取れなくなった本人から連絡がありました。「今、町内の避難所にいます」「携帯の充電が切れ、充電できず連絡が取れませんでした」「避難警報が出てすぐに車で非難しました、家族全員無事です」「以前から、津波警報が出たらすぐに避難しろと言われていました」と。後日、本人が会社に出社します。「良かった、本当に良かった。」社長(当時)と熱い抱擁を交わすのでした。 弊社の共有フォルダに他の運送会社さんの会社近辺が津波の被害に遭う動画があります。動画はその運送会社さんからいただいたものです(弊社ではない運送会社)。動画のタイムスタンプは「2011/3/11 15:55」です。よく「津波に襲われる」といいますが、動画では徐々に水かさが増していっていろんなもの(パレット、木くずなどなど・・・)流されていっていました。例えるなら、「風呂からあふれた水が延々と流れていく」といった感じでしょうか。流れるプールを想像してもらうと分かりますが、水の力は怖いですね。
-

15年前の話をしよう。 ⑨通常業務へ
続きです。電気復旧から1日たち、十分に冷やしこみができ、仕分けができるようになりました。荷主様のスタンスは、「このような災害時にできるだけの支援を、より早い通常営業を」という雰囲気があり、現に、震災当日から店舗に対する支援を行っていました(当時の記事をネットで見ることができます)。弊社も3月16日には通常業務を行っています。さて、そうなると、津波の被害を受けた岩沼倉庫で行っていた業務はどうしようという話になります。荷主様の援助もあり、岩手県矢巾町に倉庫を借りることになりました。これが「盛岡南倉庫」です(今は志和営業所に統合)。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑧電気復旧。
震災の話、続きです。3月11日より3日ぐらいたったころかと思います。電気が復旧しました。弊社の場所はプロパンガス、また、水道は普通に使えていました。電気が復旧したことで電気・ガス・水道のライフラインが整ったことになります。荷主様の要請もあり、すぐにチルド庫、冷凍庫の冷やし込みを行います。1日後には仕分けができる体制になりました。徐々に営業している、もしくは復旧しつつある店舗への仕分け・配送を始めることになります。やはり、昔から道や建物のある土地は地盤が固い、ということなのでしょうか。 なお、仙台市内の都市ガスはこの時復旧の見込みなし(調べてみると復旧まで10日はかかったようです)。スーパー銭湯や温泉がほぼご厚意でしょう、店を開けてくれており、毎日とは言えませんが入りに行っていました(熊野堂温泉(今はもうない)とか、ベガロポリスの極楽湯(運営会社と名称が変わり営業中)とか、名取の極楽湯(営業中)とか‥)。中には従業員で、「会社の風呂を貸してほしい」という者が出てきました(弊社には風呂があります)。まあ、いいでしょう、と思って前代表が風呂を貸すと、弊社建物1階の仕分けの現場から「壁の隙間から大量に水が漏れている」との話が。風呂から出ている下水管が地震で壊れてしまい、水が壁に入り込み、流れてしまっていたのでした。当然、弊社の風呂は使用停止になりました。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑦取り残された倉庫の責任者は
続きです。さて、前に話しました津波の被害にあって倉庫の2階に取り残された岩沼倉庫の責任者。2日たっても消防の助けはありませんでした。時間がたつごとに甚大な被害が出ているのが分かってくるのですから、致し方ないところはあるでしょう。幸いなことに携帯はつながっていたので、無事であることはわかっていました。倉庫2階の事務所に食料があった模様で、それを食べていたようです。2日たつといい加減、津波の水も引き始めていました。それでも結構水は残っていたようですが。「待ってられない、助けに行く。」社内でそのような勇者があらわれました。大型トラックを運転し(車高が高いので水が運転席に入らない)、岩沼倉庫に行き、責任者を救出したのでした。弊社の共有フォルダには、津波の被った岩沼倉庫の画像があります(ここには載せませんが)。がれきの上にのった自家用車、トラックのハコの中に入った魚、などの画像があります。津波の恐ろしさを感じるのでした。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑥なんだかんだで
続きです。3月12日。昨日に引き続き、荷主様からの要請で店舗配送できるところは店舗配送を行っていました。ラジオの情報を聞き、「ここの道路は通れない」とか「ここは津波の被害がひどい」などの情報をホワイトボードに書いていきます。弊社はプロパンガスを使用しており、ガスは使用可能、また、水道も普通に使えました。ただ、電気だけはまだ復旧していませんでした。ちなみに、仙台市内の都市ガスは全面停止になっており(しかも復旧は2週間後)、風呂にも入れない状態が続いたのでした。日帰り温泉やスーパー銭湯は大盛況。料理をするにもカセットコンロを使用する、といった状態。こういう時はプロパンガスのほうがいいですね。普段はガス代が割高と言われますが。なんだかんだで会社にいたほうがよいのでした。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑤二、三百人?
続きです。そんなこんなで3月12日になりました。新聞は普通に配送されていました。大津波が来た、という記事が1面です(今でも当時の紙面が検索すれば見れます)。会社にはいくつもりでしたが、まずは買い出しをしようとドラックストアに並びます。結構な人が並んでおりましたが、パンやカップ麺、生活費用用品を買うことができました。その時、車のラジオから信じられないニュースが聞こえてきます。「仙台市荒浜で200~300の遺体発見。」後日、それは誤報であり、実際は180前後だったようですが、インパクトのあるニュースでした。その後、会社に行き(なんだかんだで皆集まっていました)、ラジオで情報を聞きます。「福島原発で爆発。」これは大変なことになった、と思いました。 続きます。



