-

15年前の話をしよう。 ⑧電気復旧。
震災の話、続きです。3月11日より3日ぐらいたったころかと思います。電気が復旧しました。弊社の場所はプロパンガス、また、水道は普通に使えていました。電気が復旧したことで電気・ガス・水道のライフラインが整ったことになります。荷主様の要請もあり、すぐにチルド庫、冷凍庫の冷やし込みを行います。1日後には仕分けができる体制になりました。徐々に営業している、もしくは復旧しつつある店舗への仕分け・配送を始めることになります。やはり、昔から道や建物のある土地は地盤が固い、ということなのでしょうか。 なお、仙台市内の都市ガスはこの時復旧の見込みなし(調べてみると復旧まで10日はかかったようです)。スーパー銭湯や温泉がほぼご厚意でしょう、店を開けてくれており、毎日とは言えませんが入りに行っていました(熊野堂温泉(今はもうない)とか、ベガロポリスの極楽湯(運営会社と名称が変わり営業中)とか、名取の極楽湯(営業中)とか‥)。中には従業員で、「会社の風呂を貸してほしい」という者が出てきました(弊社には風呂があります)。まあ、いいでしょう、と思って前代表が風呂を貸すと、弊社建物1階の仕分けの現場から「壁の隙間から大量に水が漏れている」との話が。風呂から出ている下水管が地震で壊れてしまい、水が壁に入り込み、流れてしまっていたのでした。当然、弊社の風呂は使用停止になりました。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑦取り残された倉庫の責任者は
続きです。さて、前に話しました津波の被害にあって倉庫の2階に取り残された岩沼倉庫の責任者。2日たっても消防の助けはありませんでした。時間がたつごとに甚大な被害が出ているのが分かってくるのですから、致し方ないところはあるでしょう。幸いなことに携帯はつながっていたので、無事であることはわかっていました。倉庫2階の事務所に食料があった模様で、それを食べていたようです。2日たつといい加減、津波の水も引き始めていました。それでも結構水は残っていたようですが。「待ってられない、助けに行く。」社内でそのような勇者があらわれました。大型トラックを運転し(車高が高いので水が運転席に入らない)、岩沼倉庫に行き、責任者を救出したのでした。弊社の共有フォルダには、津波の被った岩沼倉庫の画像があります(ここには載せませんが)。がれきの上にのった自家用車、トラックのハコの中に入った魚、などの画像があります。津波の恐ろしさを感じるのでした。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑥なんだかんだで
続きです。3月12日。昨日に引き続き、荷主様からの要請で店舗配送できるところは店舗配送を行っていました。ラジオの情報を聞き、「ここの道路は通れない」とか「ここは津波の被害がひどい」などの情報をホワイトボードに書いていきます。弊社はプロパンガスを使用しており、ガスは使用可能、また、水道も普通に使えました。ただ、電気だけはまだ復旧していませんでした。ちなみに、仙台市内の都市ガスは全面停止になっており(しかも復旧は2週間後)、風呂にも入れない状態が続いたのでした。日帰り温泉やスーパー銭湯は大盛況。料理をするにもカセットコンロを使用する、といった状態。こういう時はプロパンガスのほうがいいですね。普段はガス代が割高と言われますが。なんだかんだで会社にいたほうがよいのでした。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ⑤二、三百人?
続きです。そんなこんなで3月12日になりました。新聞は普通に配送されていました。大津波が来た、という記事が1面です(今でも当時の紙面が検索すれば見れます)。会社にはいくつもりでしたが、まずは買い出しをしようとドラックストアに並びます。結構な人が並んでおりましたが、パンやカップ麺、生活費用用品を買うことができました。その時、車のラジオから信じられないニュースが聞こえてきます。「仙台市荒浜で200~300の遺体発見。」後日、それは誤報であり、実際は180前後だったようですが、インパクトのあるニュースでした。その後、会社に行き(なんだかんだで皆集まっていました)、ラジオで情報を聞きます。「福島原発で爆発。」これは大変なことになった、と思いました。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ④三銃士、四銃士
続きです。少し時間を戻します。震災当日、会社の様子を見に来た運転手さんたちがいました。「大丈夫ですか?」と。そんな中、荷主様からこんな依頼を受けました。固定電話(アナログ回線)、携帯電話はつながっていましたので。「当日、営業している店舗(関東地方)へ配送をお願いしたい。」確かこんな感じだったかと思います。3,4人のドライバーさんが「自分がやりますよ」と名乗り出ました。社長(=前代表)はそのドライバーさんたちを「三銃士」や「四銃士」と呼びました。ドライバーさんにはこういう非常時に一段とやる気を出してくれる人がいるんですね(今はどうなのかわかりませんが)。この後もこのドライバーさんたちの活躍が続くことになります。 続きます。
-

15年前の話をしよう。 ③津波・・・・?
続きです。当時の記憶でこのブログを書いていますが、記憶がおぼろげなところもありますので、もし違う箇所がありましたらご容赦ください。 前代表の指示で冷たい風が吹き小雪の舞う外に出た我々。ちょうど何台か配送を終えて帰ってきた車がありました。「大丈夫だったー?(前代表)」「大丈夫ですー。(運転手)」中には、「何かあったんですかー?」と言ってくる大型の運転手さんもいたりしました。当然のように停電しています。テレビは見れません。携帯はつながる状態でしたので、ワンセグでテレビを見ます。「宮城県北部震度7」とか「名取市震度6強」とか聞いたことのない震度が出てきます。そうしているうち、大津波警報という聞いたことのない警報が出てきました。最初は確か5-6m、のちに10mの津波の警報だったと思います。停電が長引くことが予想されたので、いつまでもワンセグを見ているわけでもなく、「そんな大きな津波来るわけないよなー」と内心思いながら、ワンセグの画面を消すのでした。こんな感じでしたので、今もYouTubeで見れる「津波が押し寄せてくるニュース映像」を見ていないんですね。ワンセグをみるのをやめ、会社にあったラジオで情報を聞きます。「仙台新港に津波が押し寄せてきた」「仙台空港の滑走路が浸水した」そんなニュースが聞こえてきますが、大津波がきてたくさんの方が亡くなった、とは当日思いもよらないのでした。そんな中、海岸沿いにあった岩沼倉庫が津波の被害にあった、という連絡が携帯にありました。当日、たまたま作業が早く終わり、責任者以外の従業員は全員帰宅、責任者だけが倉庫に残っていた状態。責任者は倉庫の2階に避難し無事、しかし津波を被ってしまい出られない、という話でした。「大丈夫ですかー?」「大丈夫ですー。でもいつ出られるかわかりません(責任者)。」「今日はもう帰りましょう、明日会社に来れる人は会社に来て。」社長(=前代表)の言葉で解散することになりました。 真っ暗な道に車を走らせ、周りの様子を見てみます。陥没した道。曲がったように見える線路。踏切の遮断機は折れています。帰宅途中、ハタと思い立って消防署に電話をしてみました。何回か電話してやっと繋がりました。「倉庫の2階で取り残されている人がいるんです、助けてください。」「電話が多すぎてもう対応しきれないんです(消防署の方)。」次の日の新聞を見て大津波で大きな被害が出たと知ることになるのでした。 続きます。



