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15年前の話をしよう。 ④三銃士、四銃士
続きです。少し時間を戻します。震災当日、会社の様子を見に来た運転手さんたちがいました。「大丈夫ですか?」と。そんな中、荷主様からこんな依頼を受けました。固定電話(アナログ回線)、携帯電話はつながっていましたので。「当日、営業している店舗(関東地方)へ配送をお願いしたい。」確かこんな感じだったかと思います。3,4人のドライバーさんが「自分がやりますよ」と名乗り出ました。社長(=前代表)はそのドライバーさんたちを「三銃士」や「四銃士」と呼びました。ドライバーさんにはこういう非常時に一段とやる気を出してくれる人がいるんですね(今はどうなのかわかりませんが)。この後もこのドライバーさんたちの活躍が続くことになります。 続きます。
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15年前の話をしよう。 ③津波・・・・?
続きです。当時の記憶でこのブログを書いていますが、記憶がおぼろげなところもありますので、もし違う箇所がありましたらご容赦ください。 前代表の指示で冷たい風が吹き小雪の舞う外に出た我々。ちょうど何台か配送を終えて帰ってきた車がありました。「大丈夫だったー?(前代表)」「大丈夫ですー。(運転手)」中には、「何かあったんですかー?」と言ってくる大型の運転手さんもいたりしました。当然のように停電しています。テレビは見れません。携帯はつながる状態でしたので、ワンセグでテレビを見ます。「宮城県北部震度7」とか「名取市震度6強」とか聞いたことのない震度が出てきます。そうしているうち、大津波警報という聞いたことのない警報が出てきました。最初は確か5-6m、のちに10mの津波の警報だったと思います。停電が長引くことが予想されたので、いつまでもワンセグを見ているわけでもなく、「そんな大きな津波来るわけないよなー」と内心思いながら、ワンセグの画面を消すのでした。こんな感じでしたので、今もYouTubeで見れる「津波が押し寄せてくるニュース映像」を見ていないんですね。ワンセグをみるのをやめ、会社にあったラジオで情報を聞きます。「仙台新港に津波が押し寄せてきた」「仙台空港の滑走路が浸水した」そんなニュースが聞こえてきますが、大津波がきてたくさんの方が亡くなった、とは当日思いもよらないのでした。そんな中、海岸沿いにあった岩沼倉庫が津波の被害にあった、という連絡が携帯にありました。当日、たまたま作業が早く終わり、責任者以外の従業員は全員帰宅、責任者だけが倉庫に残っていた状態。責任者は倉庫の2階に避難し無事、しかし津波を被ってしまい出られない、という話でした。「大丈夫ですかー?」「大丈夫ですー。でもいつ出られるかわかりません(責任者)。」「今日はもう帰りましょう、明日会社に来れる人は会社に来て。」社長(=前代表)の言葉で解散することになりました。 真っ暗な道に車を走らせ、周りの様子を見てみます。陥没した道。曲がったように見える線路。踏切の遮断機は折れています。帰宅途中、ハタと思い立って消防署に電話をしてみました。何回か電話してやっと繋がりました。「倉庫の2階で取り残されている人がいるんです、助けてください。」「電話が多すぎてもう対応しきれないんです(消防署の方)。」次の日の新聞を見て大津波で大きな被害が出たと知ることになるのでした。 続きます。
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15年前の話をしよう。 ②今まで経験したことのない揺れ
2011年3月11日午後2時46分。地震は起きました。前回も書きました通り、宮城県民は地震はある程度慣れています(そのはず)。3月11日の前にも大きめの地震があり(前震というらしいです)ました。調べてみると2011年3月9日、最大震度5弱。名取市近辺は震度4だったらしいです。確か、津波注意報も出ていましたが、津波の大きさは最大0.6mだったようです。 3月11日は最初は下から突き上げるような揺れ。正直、最初は「また地震か」という印象だったはずです。その後、激しい横揺れ。その横揺れがいつまでたっても終わらない。一回収まったかと思えばまた強い揺れが続く。「いつまで続くんだこの揺れ、いい加減に止まってくれないかな」3分くらいこの横揺れは続いたようですが、こんな長時間の揺れは経験したことはありません。地震の揺れがやっと収まりました。当然のように停電しています。「みんな建物の外に出て!」社長(=前代表)の一声で皆建物の冷たい風が吹き小雪の舞う会社社屋の外に出るのでした。 続きます。
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15年前の話をしよう。 ①はじめに
3月11日は東日本大震災の発生から15年。海抜1~4m程度の仙台市、名取市、岩沼市等にまたがる仙台平野(狭義)に津波が押し寄せ、弊社の本社がある宮城県名取市でも主に海に面した閖上地区や下増田地区などで甚大な被害を受けました。幸いにして、弊社の従業員はこの震災で亡くなった方はおりませんでしたが、「息子2人が津波に襲われてしまった」とか「家が流されてしまった」という方がおり、その話を聞くたびに何とも言えない気持ちになっておりました(特に息子さんの場合は扶養を外す必要があり、なおさら)。弊社の本社建物は海岸線より10km程度離れた標高20mの地にあり、河岸段丘であることもあり、地盤が固く大きな建物の崩壊を免れることができましたが、当時、岩沼市の海岸近くに「岩沼倉庫」というのがあり、業務を行っておりましたが、津波をもろに受け、現在、他の場所にて業務を継続しています。宮城県は地震の多い地域であり、マグニチュード7程度(最大震度5程度)の地震は30-40年ごとに発生するといわれています。地震が多いせいで、ネイティブ宮城県民は地震が起こった時に震度について語る人が多い(はず)です。「今の震度3だな」「(震度の発表を見て)うそー、今の絶対震度4だよ、震度3じゃないって」なんていう風に(ケン〇ンショーあたりで取り上げていいネタだと思いますが)。東日本大震災はそんな地震慣れした宮城県民の想像をはるかに超えるものでした。この震災に遭遇した人は、それぞれ震災について語れると思いますが、次回以降、弊社で起きたことを語っていきたいと思います。次回に続きます。
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住所の表し方について語ってみる ⑥失われた地名を求めて
というわけで、これまで住所の表し方について見てきました。住所表示や地番整理等で従来の地名は変更されてきています。市町村合併の際も、今までの住所の表し方が変更されたりしています。大字の表記が廃止されたり、字面が悪いというので変更されたり。特に、東京は、昭和7年に郊外の町村を合併し、東京市となっていますが、その際に旧藩政村だった地名を廃止して、明治行政村の地名を町名にしているのが結構見られたりします。そういう失われた地名もいろんなところで意外と残っていたりするもので、そういうのを深堀していくのも楽しかったりします。例)ヨドバシカメラの「ヨドバシ」の由来は?答)ヨドバシカメラの新宿西口本店のある場所のもともとの地名が「淀橋町(これは明治行政村の名前)」→「淀橋区」(昭和7年の東京市編入時の区名)今は淀橋町の範囲は住居表示施行時に「北新宿」「西新宿」になっていますが、前の大字は「角筈(つのはず)」「柏木」など。地域名として残っていたりします。地名は土地の記憶であるといわれます(タモリさんもそんな話をしますね)。昔の地名をたどると、住むのに適しない土地が分かってしまう例もあります。地名探訪も楽しいものですよ(謎の勧誘じみた発言)。地名の話はこれにて終了です。お付き合いいただきありがとうございました。 ※サムネの画像はAIにて作成いたしました。
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住所の表し方について語ってみる ⑤住居表示と地番整理
今回は、住所の表し方で「×丁目〇-△」の表し方についてみていきたいと思います。以前羅列した例ですと、・神奈川県厚木市中町3丁目17番17号 (厚木市役所)・茨城県土浦市板谷7丁目627番地の17(茨城営業所)の違いです。 まず、厚木市役所の場合は、「住居表示に関する法律」(昭和37年施行)に基づく住所の表し方です。前回書きました通り、明治維新時の地租改正により、地番が決められ、それをもとに住所を表すようになりました。その土地売買したり、相続で分けたりすると別の番号が生まれます。これを分筆といいます。ちなみに、弊社本社は字岩口下46-1が住所ですが、46-1のほかに3つ分筆された土地があります。そのなかの代表として46-1を住所にしています。分筆は、分筆を行った順に番号を割り振り、一度使った数字は再利用しません。そうなると、隣の土地が連番でなくなる可能性があるんですね。例えば、番地が「1」しかない山を宅地造成するとします。何百軒の家が建ち、地番としては「1」から分筆をしていくので、その団地内で「1-××」という地番が大量発生します。その後、さらに分筆すると隣同士で地番の連続性が失われ、郵便配達や各種配達に支障が出ます。また、特に城下町だと町名が入り組んでいたり、飛び地ができたりします。その解消のために、新しい町名を付け(〇〇△丁目)、道路で区切られたブロック(=街区)ごとに番号をふり(〇番)、そのブロックの起点を決め、基本的に10mごとに(例外あり)その家に番号を充てる(〇号)という住所の表し方の決まり事を作りました。なお、町名は「丁目」を含みます。この住居表示の住所は地番とは別のもので、土地の登記の場合は地番が必要になります。住居表示は1件の家に、地番は土地に与えられます。当然、一軒の家に分筆された土地が4つある、ということも考えられるので、住居表示の住所=地番、にはならないんですね。この法律で、結構古くからの町名(特に城下町は)が失われているので「地名殺し」なんていわれています。 一方、町名地番が混乱している区域の町名及び地番を変更し、住所等をわかりやすくすることも行われます。主に大規模な宅地開発や土地区画整理の際に一緒に行われることも多いです。これを地番整理、もしくは町名地番整理といいます。この場合は、地番=住所となります。また、新町名を付けることもありますし、今までの大字、小字を生かして新たに地番をふりなおすこともあります。上記の茨城営業所の場合、土浦市のホームページによると、平成6年に地番整理が行われた模様です。住居表示の場合、「627」という街区番号はありえないので、板谷は地番整理地区だとわかります。 なお住居表示と地番整理、両方とも略した表記は例えば「1丁目1-1」のようにハイフンを入れるので、正しい表記が分からないときは、ハイフンを入れた書き方のほうが無難です。逆に、正しい住所の書き方をすると「分かっている」感を醸し出せます(なんだこの上から目線)。あと1回続きます。





